禅問答のようですが。
実は不安と混乱から完全に逃れるための解決策がひとつだけあります。
しかし残念ながらそれは絶対に実現が不可能なことです。
この答えは後ほど。
会社から発信される情報の量が増えてゆき、様々なことに筋道が付くと、社員もそれぞれの方向性も決まり、やるべきこともかなりはっきりとしてきます。
しかし、そのような時期になっても社員から「不安で、不安でたまらない」という相談をかなり受けました。
いや、合併の統合作業が完全に終わってもその様な相談を受けました。相談をしてくる社員は様々な状況がはっきりしても不安から解放されていないのです。
そして彼らに不安の原因を尋ねるのですが、その答えに要領を得ません。
そんな状態に取りつかれている理由はどうやら「何が起きるのかわからない不安」に取りつかれているからのようです。
仕事のことや周りとの人間関係など何に不安をかられているのか具体的にはっきりしているのであれば、解決の手助けが出来るかもしれませんが、「何が起きるかわからないことに不安を感じている」ので不安の原因が特定できない不安なのです。
これでは相談に乗ろうにも取りつく島もなく、お手上げ状態でした。
確かに沈黙期間や朝令暮改に散々に振り回されてきた社員にとってそのような感情を持つのは自然なのかもしれません。
現に普段は感情に左右されず理論的に解釈をする社員もこの手の質問をしてきます。
不安を解消しようとその原因を探しますが、その原因が”何が起こるかわからない”というところから生まれる”不安”なので、その何かがなのかに不安を感じるという堂々巡りが起こる。
その状態がいつ終わるともなく続きます。
学校の入学試験を思い出して下さい。
例えばあなたはAという学校に入学を希望しているとしましょう。
あなたは成績優秀で模擬試験を受けるとA校は合格圏内と判定されているし、担任の先生からも「大丈夫だ」と合格に太鼓判を押してくれていまし、周りの学友からも「余裕で合格だね」と羨ましがられています。
それでは果たしてあなたは安心をして試験日まで過ごすことが出来るでしょうか?
決してそんなはずはないでしょう。
試験日まで気を抜かず、何度も何度も今まで勉強してきたことを復習し、過去に出題された問題を繰り返し解いて万全を期すに違いありません。
しかし「国語は完璧、数学もこの間の中間試験で満点をもらった、英語も何も心配ない」と受験科目各々の勉強の進捗には満足していているが、入学試験そのものには不安を覚えてしまうのではないでしょうか?
個々の受験科目の勉強のはかどり具合を考えると、理論的にはどう考えても合格は間違いないのでしょうが、やはり試験には不安を感じてしまいます。
その不安の原因は試験を迎える日までに、そして試験当日に”何か”が起こるかもしれないという不安です。
この不安に対応しようにも”その原因である不安を感じている”何か”が何なのかわからないのでは、対応しようがありません。
残念ながら試験が終わるまで不安に付き合う他はないのでしょう。
実際に入学試験が無事終わり終わり、その結果がわかるまでは不安で、不安でたまらないはずです。
合併の不安もこの入学試験の不安と同じだと思います。
合併に不安を感じ、仕事のこと、将来のこと、人間関係など不安の種と思われることをひとつずつ並べて確認するのですが、そこには明確な不安の種を見つけることが出来ません。
不安の種がないのなら、安心しそうなものですが、合併のことを考えると不安が頭をよぎるのです。
この状態は完全に”何が起こるかわからない”不安にとらわれていると考えています。
入学試験にしろ、合併にしろ、実はこの「何が起こるかわからない」不安を解決する方法がひとつだけあります。
それは”入学試験そのものをなくすこと”であり、”合併そのものをなかったことにする事”です。
不安のもとをたどっていくとそこにたどり着きます。その「何が起こるかわからない」不安を作り出している元凶である「入学試験」や「合併」を取り除いてしまえばよいのです。
しかし、これは土台無理な話で、解決があっても、実行不可能な解決策なのです。この不安から逃れるためには時が解決をしてくれるのを待つしかありませんでした。
「何が起こるかわからない」不安はいつまでも社員の心の内にくすぶり続け、職場はいつまでもどんよりとした雰囲気に包まれてしまいました。
(Kawashima)